ルカの昼寝

ルカの昼寝

社会の歯車がなぜ歯車なのかを理解し始めた

進捗報告 : 自己否定感との抗争

 

無事に修論を出した.

出来はまぁ...そんなに悪くないものが出来たと思う.

明日は修論発表会で,寝坊しなければまぁ何とかなる.でも朝一番の発表はつらいて.

発表が終わったら何しようか考えておこう,と思ってたのにいつの間にか前日まで来てしまった.あんまり未来に関して考える気力がない.

 


結局こんな時間に起きてるのは生活リズムが乱れているからで,そしてそれが精神面にもたらす悪影響を自分はよく知っている.こんな気持ちで記事を書き始めるのもきっとそのせいだと.

 

ここ半年は自分で自分をクビにするような行動をとり続けてきたので,もう少し自己否定感が小さくなればいいのかなぁと最近感じる.自制心が働いているという表現にすればいいことなんだろうか,

 

でも,結論に満足していないから,多分間違っている.(というのは書いている人目線であって,きっとルカさんにとってはただの結果論ではあるのだが)

 

今の自分には人と関わることにかかるコストがあまりにも大きすぎて,関わったことによって得られるエネルギーがそれ以上であることはわかっているのだけど,どうしても支払えずにいる.まぁストレスという手形が付いてくるならそれはそれで論外なのだが.お互いに.

 

きっとたぶん深く考えすぎなのだルカさんは.徹底したリスク排除による楽観視という高校生の時の考えを体現しすぎだと思う.それから脱却しようとしてまたリスク排除に走っているのも笑えないが.

 

でも今の自分には「断つ」というのは多分必要なことで,今まであまりやってこなかったことであり,...うーん.やってみるとそれはそれであまり嬉しいものではないのだが.結局自分の中でやりたい人間とやりたくない人間がいる以上トレードオフなのだけど,行動としては0か1しかないからなぁ.関わり0.6とか出来ないもんかね.もちろんコストにも係数してもろて.

 

そう思うと自分の研究はこういうところを体現しているのかもしれない.「グズほど頻繁にチャンスが舞い降りてきたらいいのに」とか,「選択肢を提供する」とか,「公平性」とか.あと「犠牲」.

 

昔から世界が公平であればいいのにと思っていた.自分にとっての公平は,「頑張った人が正しく報酬を得られる」こと.それは「姿勢を見せる」ということに繋がるのだけどそれは置いておいて,その実現のための「犠牲」にもちゃんと目を向けていたあたり,意外としっかりしているのかもしれない.

 

ソウルサクリファイスってゲームがあって,そのゲームは「犠牲」という内容が顕著に出てて好きなのだけど,そこは自分の性根なのかもしれない.リスクリターンはすなわち目標と犠牲だから.そるさく!

 

目標を達成するための犠牲は自己肯定であり自己否定である気がする.そこが私の相違点か.

 

気分としては今は ave = -3くらいなので,春になる前に±0にできるように頑張りたいね.

 

だからとりあえずは健康的な生活を送るのが最初の「やること」だろうか.

人生の夏休みのうち,最後の2か月がどうか有意義でありますように.

あと明日の発表にちゃんと起きれますように.